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yuuの一人芝居

yuuの一人芝居

フェイスブックのコメント 2

ありがとうございます。若かったころ携わっていたことを書かせていただきました。読ませていただいて福島においての人災がよくわかりました。津波の対処に問題があり被害が広がったということです。地震に対しては東北地方も被害は少なく津波による甚大な災害で多くの人たちが犠牲になられました。福島原発も屋内に発電機を格納していれば作動して臨界、メルトダウンには至らなかったのではという認識はあります。これはアメリカの施工技術者の日本において津波と言う問題を無理解であったということなのでしょう。核廃棄物を地下数百メートルに保管するというフィンランドのあり方が正しいとは思えません。原発問題を作る前から反対をした残党のなかには陸奥による最終処理場の成功を願っていた人も多かったと思います。私も例外ではありません。また、中国の核実験が東トリキスタンで行われその被爆者が百二十万人もおり治療もなされていないという現状をこれが事実であれば世界は報道してはいませんが侵略による虐殺であろうと思います。戦後独立国となって、昔中国の支配を受けていたということで領土ではないのです。その非道をどのように判断するのかをお聞きしたいことです。それはチベット国にも言えます。日本が朝鮮併合により今の中国がウイグル、チベットのように民族浄化をしたというのなら朝鮮民族は二倍に人口が増えるわけがありません。私の思いは専門的な人たちの思いとは異なり市井の平凡な考えの声なのです。ウイグルのチベットのその人たちの生の声を聞きとり取材もしてはいません。多くの情報のなかから選択しての思うことなのです。公害の時にはPPMで誤魔化さました。数値ではなく、そこに自然のあり方を問い人間が住んで生きていけるのかを確認したかったのです。すべての真実は闇に隠されているかも知れませんが人間としての誠実な心で主義主張を超えてこれからお二人によって明かされることを期待して見守らせていただき考えるよすがにしたいと思っています。

• 吉馴 悠 12万円の年金をもらいながら少なくて暮らせないと新幹線で油を被った人がいましたが、私に言わせればどんな生活をしていたのかという疑問がわきます。新聞は、自動車は、外食は、携帯電話は、遊興費は、まずやめるべきでしょう。歳をとって趣味を持つそれを生きがいにする、それで十分生活ができるも思います。なぜ人生設計をしていなかったのか、せつな的に生きていたのか、頂ける年金でどのように生活をするかという設計図がなぜ書けなかったのか、いなかで暮らすより都会の方が暮らしやすいのにだ。格差に応じての消費圏が作られている。豆腐がほしければ25円のところで買えばいい、お金持ちは200円のものを買えばいいというように商品も格差の人によって選択できるようになっている。それもしないで暮らしていたのか。まず、年金をあてにしなくても生きていけるように若い時から精神生活を心得るべきなのではないか。また、わかったように政府の試算、最低の生活にはこれだけいるという世間を見ていない人の言葉が不平を生んでいるとも思える。人は分に沿って生きることを考えなくてはならない。お金の魔物に惑わされてはならない。年金者がどのように工夫をして生活をしているのかの実態を調べなくてはならない。今米も10キロ2000円を割っている、豆腐25えん、モヤシも9円も出せば買える、バナナは5本で100円、リンゴは4っ298円、納豆は44円、油下は29円、魚や肉は少し時間をずらせ場ば半額ものが買える、味噌は1k160円、醤油はキッコーマンの1000ccが238円、酢はタマノイ2000ccが178円、みりんは2000ccが285円、お菓子がほしければ一袋78円で色々ある、菓子パンも50-70円のものを買う、洗剤、紙製品は売り出しの時にまとめて買う、なおもの野菜はタンブラーに植える、またはキャベツ180円、なすび150円、ピーマン130円、ブロッコリー150円小松菜88円、玉葱小さいもの4個100円、青ネギひと束100円、着るもの履きものはホームセンターで買う、そのような努力をしているのでしょうか。ほとんどの年金生活者は生活防衛を真剣に考えて生きているのです。それを何々研究所の人たちにはわかっていまい。贅沢という言葉を思い出すのは月に一度と決める。それも出来ずに贅沢を言えないと思う。まずそのような店を探してみて、年金と相談しながら生活をすることをお勧めする。ひとは国から何をしてもらうという考えを捨て、国に何ができるかを考えることから出発しなくてはならない。上記の値段は現在の倉敷のものです。私は二人で10万円年金をいただいている。住まいは自分の家作です。その中から光熱費、水道代、税金、国民健康保険料、固定資産税、介護保険料を引かれて7万円で過ごしている。そのなかで15年物の車2000ccに乗っている。田舎では車がなくては不便なのです。それで十分とは言わないが心豊かに生活ができている。遊興費、教養費などは一切使わない。私には老後に読もうと買った蔵書1万冊がありそれで時間を遊ばせてもらっている。また、PCによりニュース、情報をいただいている。人は工夫でいかようにも生活のパタンはあることを感じている。その一例です。
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吉馴 悠 神田さん、ありがとうございます。私は思うのです。どうして日本人はこんなにひ弱になったのかと。生きる覚悟が見えません。なぜ世間の風に迷わされるのか。自分流を貫かないのか。これから老人は多くなります、覚悟を持った老人になってほしいと思います。金がなくては生きられない、人はひもじいほど頭がさえ考えることができるのです。まず考えるところから始めてほしい。世間の目がなんですか、言いたい人には言わせておく、その人たちにありがとうと言えばいいのです。年寄りの自立、今まで生きてきた知恵をもとに貧しくても悠々と生きてほしいと、私は思います。
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吉馴 悠 釈迦の教えのなかに「林住期」という言葉があります。50歳から75歳までを言うのですが、50で今までの生き方を変えて生きるということです。何もかも捨てて、新しい自分とめぐり合う、つまり第2の人生、やり直しの人生を歩き始めるのです。その時には生まれた姿に返り立つのです。捨てるという覚悟は大切です。それがなされれば新しい景色が見えるはずです。リタイヤしたら田舎へ、そのためには何か趣味をぜひお持ちください。その土地に馴染むために、また、文化を共にするためには役だっでしょう。新しい神田さんの人生がはつらつとしたものでありますように…。

ありがとうございました。読ませていただきました。原発の基本設計には全く無知なのです。何も分からず日本に原発がと言う時に反対していたものです。それは非核三原則に抵触するのではないかという論点からだったのです。それを同じくして軍事評論家の小山内宏氏が「簡単に原爆を作る方法」という本を出されその内容からして原発から出るプルトニウムによって簡単に原爆を作ることが可能ということでより反対が盛んになった経緯がありました。原発もアメリカの押しつけであったように記憶しています。そのころアメリカの核実験で第五福竜丸が被爆してより運動は盛り上がりを見せていました。その運動に対しては国民は何の反応を示しませんでした。佐世保の原潜寄港反対、横須賀と続いて行きました。その運動も雨によって消えるように衰えて消えて行きました。私はあの当時の行動はどうだったのかと考えています。原発が出来たことにより作られた電力により高度成長がなされ、国民は電力がもたらしてくれる快適な生活が出来、その電力が原発で作られたものであることも知らない状態でした。福島がなかったら未だに知らないことでしょう。一部の原発を反対していた人たちを除き、原発に関係している人以外は。私は思います。その電力を使って贅沢に暮らした国民はみな共犯者なのだと思っています。今、原発反対も日本人は自分の命が危ないと動きません。全く日本国のと言う考えはないのです。国際的という言葉は遠くかすむのです。フランスは核廃棄物を大西洋にドラム缶で放棄していました。今はシベリア鉄道でシベリアへ持って行き野ざらしにして放置され雨ざらしの状態と聞きます。世界的にもこの核廃棄物の処理の問題を真剣に考えなくてはならないと思っています。そのためには専門家の育成が急がれます。私たち一部の人間は福島を予見していました。だが阻止は出来なかったのです。若かったころのことです。この文がお二人の邪魔になれば削除いたしますのでご連絡ください。

広瀬さん、これは天災と言うよりも人災です。そこがなぜ高くなっているのかは先人の知恵で災害の被害が起きないようにと考えてのものです。昔から災害にあわない心得として、家を建てるなら古刹名刹のそばがいいといわれています。先人は天災の少ない所に社寺を建てたのです。災害にあわれた皆様にはお悔やみとお見舞いを申し上げます。が、絶対に日本の風土をないがしろにはしてはいけないという教訓を残してくれました。今問われているのは先人の残してくれた言葉も大切にしなくては日本人の精神風土も失われます。自然との付き合いも、人間が破壊する傲岸は慎むべきということか…。

若槻さん。私は今生きているという実感を持つことができました。13年間の惰眠はむしろ私の汚れを浄化する時間であったと思っています。新聞もテレビニュースも見なかった期間に世の中は様変わりしていました。世の中の流れは速く激流の如しでした。だけど確かにその無為徒労のなかに人とは何かを考える時間をもらいました。そんな毎日はとても速く流れました。今、私の生きた時代を振り返り、またこれからの青少年の未来に思いをはせると現状では駄目だという感を持ってしまいます。そんな考えのなかにある幸せに寄り添って生きてゆきたいと思うのです。

ありがとうございました。羨ましいという気持ちもあります。が、言霊に魅かれたということもあるのです。だが何もかも中途半端になっています。若いころには新聞に小説やコラムを書いていたのですが、原稿料をもらって書くことの怖さに負けてしまいました。演劇に逃げ、いつしか文化庁の後ろ盾の財団法人舞台芸術財団演劇人会議の運営委員にさせられ、また、篠田監督の映画などから声かけをいただいて監督の引退までその世界をさまよいました。引きこもり、いじめられっ子、母子家庭の子たちと10年間、その忙しい合間を縫って演劇を作り舞台へ乗せました。思い出作りができていればいいのですが、みんな見違えるほどにひとみを輝かせて喰いついてくれました。私としてはその子らに生きるという感動を持ってほしいとともに歩きました。今、振り返っても子供たちには教えられることが多かったと思います。60歳にして何もかも水に流して新しい自分とめぐり合いたいと生き方を変えました。戯作者、遊び人として生きて今、日本の現実の前に立ち尽くしています。途方に暮れています。それゆえに腹にあるものを吐き出しているということなのかも知れません。みなさんに教えられることが非常に多い、ついて行くのが必死です。遅ればせながらあとを追わせてください。よろしくお願いいたします。

若槻さんの優しさでしょうか、みなさんがそのような考えでペットに接していて下さればと思います。私も犬に猫を飼っていましたが、それらを題材にして犬と猫の活躍する台本を何作か書いています。私は血統より雑種が好きで、よく拾ってきたものです。愛着が増して、だが別れがある。そのことを何度か繰り返すうちにもう飼うまいと決断しました。私が書くのは決して愛犬家の人たちを誹謗しているのではありません。それを商いとしている人のモラルを問っているのです。イギリス人の偽善を、矛盾を、それに気づいてくれることを願って書き込んでいるのです。自然を人間の都合で変えてはたがいに不幸になることを訴えたいだけです。猫も犬も好きです、だから言いたいのです。

ペットと主従の関係が逆転していると思われることも多い。犬に躾を教わっていたりして。日本にも私が危惧していた事が起こっている。もうだいぶ前からではありますが、イギリスでは近親交尾による奇形な犬が大層重宝がられているという。それが日本に入って日本でも行われている。みなさんはブルドッグの変化を見ているのです。呼吸をするのも困難な犬相である。近親交尾で生まれてくる犬は短命である。まさに虐待が公然と行われているのだ。黒人が親子相姦を繰り返している間にひょっこりと白人が生まれたように、これは真実をわからないが、そのことが犬によって行われている。人間の極度な愛犬家の罪である。そのことに全く気がついていないこと、その不幸を犬たちは早死にをすることで訴えているのだが…。鈍感な人間にはわからない…。

自衛隊の任務とは言えその仕事ぶりには手を合わせたくなる。相いれない人たちにはその行為はわからない。人にあらず、である。が、いざその場に立つと一番に綱にしがみつきあとに続く人を蹴落とそうとするのだろう。芥川の「蜘蛛の糸」を読んで人の道を知れと言いたい…。

さて、私にはよくわかりませんが、そのグローバルな考え方が何時まで通用するのか、皆目前がみえません。情報の錯綜により何が本質なのか、佇んでいます。食糧自給率は100パーセントとは言わないが今の40から上げなくてはならないとは思います。今、率を下げているのは日本国民が食べ残す量が多すぎることも起因しています。外国人への農地売買を禁止する法案、これは憲法の問題なのですが、を作り日本人による農地の売買がなされるようにして率を上げるということも考えなくてはならないと思います。その新しい農業者には手厚く補助をすることも考えてほしいものです。いずれ関税は必然的に緩和しなくてはならなくなることでしょう。各国の利益を守るエゴが強すぎるようにも思えます。というより利権がありすぎるということも言えそうです。専門的な勉強もしてなくて色々と思いを書き込んでいますので、ここはおかしいと思われましたらご指摘していただき、勉強をさせてください。

若槻さん、おっしゃる通り、そのように考えたいです。国際連盟においての日本の活躍をみると、世界においての人権差別撤廃、一貫した姿勢には目を見張るものがあります。だが、アメリカ、欧州にとっては気分を害したことでしょう。そして、脱退。それをきに、大東亜戦争へと経済制裁で自衛の戦いに落とされていく。だが、今、国連においての戦勝国は経済の疲弊にあえいでいる。もう指導する立場を失った、それはあの国連事務総長に代表される堕落でしょう。国連は中立的立場にない、それはまさに至言でありますが、総長の言葉であってはならない。私はここで何度も提唱しましたが、このあたりで国連から新国連の建設が急がれると思います。今の国連は新興国の雇用組織になり下がっています。安倍総理にしては国連をどうにかしなくてはとの思いがあり、国民の声を聞きながらも負担金を延滞なく納めているのではと推察します。常任理事国の一カ国の拒否権で事案が流れる、民主主義の根幹ではありますが、その民主主義も今の世界では成り立たず、昔の建前で現在には通用していない。ここにも新たしい主義を望みたいものです。マクルーハンの理論はもう終わりにしてほしい。武力から経済へとかわった戦争を平和に導くのは一体何かを問い直さなくてはならないのではないでしょうか。今の国連のあり方はユダヤ国際金融には至って好都合でしょうが、断ち切る努力を新しい組織で行ってほしいと思います。諸悪の根源になった国連の改革こそ急がれます。大国の後退、新興国の足踏み、資源外交の終焉を見ているようです。

渡辺さん、坂本さん、読ませていただきました。対立がなくては話が前に進みません。参加させていただくことには異論はございません、が、私は一介の戯作者、そんなに大層な理論を持つものではありません。社会の営ものなかの人間を眺めてきたものです。みなさんに伍して書き込みがかなうかは疑問ですが、誠実に読ませていただき判断の材料としたいと思います。私は森羅万象(いきとしいけるもの)をテーマとし書き続けていました。この数カ月はFBにて様々な書き込みに接し世界の日本の現状に直面し唖然としています。私の書き込みは私の中ではまだろ過したものではなく、形而上にしか過ぎない事になります。だけどみなさんが今をどのように俯瞰しているのかには興味しんしんと言うところです。勉強のための時間をいただけることを感謝いたします。

若かったころには、政治と文学は裏表一体、その政治をけん制しなければ国民の幸せはないと信じ政治に対しての批判行動をし、今は国民が政治に求めるだけではなく、この国に何ができるかを思考するにいったている。ある意味の覚醒か改心か。生き歳いけるもののあり方を問うことの出来る穏やかに心になっている。が、擡げるのはこの国の未来の姿、妄想ではなく現実を眺めても必滅を感じ心そこにあらずのいらだち、時を同じくし糾合する叫びに共感しながらも何も出来ない己をさいなむ。そんな時間の中に、何を見るか、人のあわれか、悲しみか。生きるという意味を問わない人たちの群れを眉をひそめているだけでいいのか、子供たちのあの瞳の輝きのなさを嘆いているだけでいいのか、学問を忘れた若者たちに、また、務めを終えた老後の経済苦で路頭に迷う人々の不惑、そのけだるさはすべて金銭に頼って生き精神的な生活を忘れていたつけなのか。民主主義の行き詰まり、あり方が問われなくてはならないとのささやきに苦悶するのが正常な精神なのか。問われるのは生きるという覚悟になさなのか。なぜ、今の世に高潔な哲学者が出ないのか。嘗て馴れ親しんだ偉大な哲学者たち、今の世は今にあった哲学を必要としているのに現われてこない。主張、己の利益だけに奔走する市井の徒の傲岸な姿だけなのか。ゆとりのない自由を求めるその精神はどこから来るのか。こころの劣化、民度の喪失を嘆いてもあまりある。さて、愚痴はそのくらいにして、もう一度病い負けず、それをともとして前に一歩一歩足を出すことにしょう。その坂を上り見えるものを信じよう・・・。

ありがたいお言葉です、心強く感じました。次への橋渡しは今生きている者の務めとして遂行しなくてはならない責務でしょう。この国は国民のものです。議員を育てるのも国民です。まず国民がこの国を取り戻してこの国を愛する議員に託することが次への橋渡しになるでしょう。私が育てた、もとに歩いた子供たちが、青年が胸を張って生き次なる世代へのバトンを渡す役割を演じきってほしいと思います。路辺に咲くわずかな花にも感動し心動かせ、佇むお地蔵さんにも手を合わせることの慈しみをもって生きてほしいと願います。森羅万象に感謝の思いが届く生き方を・・・。

環境問題を論ずるならばまず人間環境を整えなくては、温暖化(気候変動)や公害による地球環境も山を削り焼畑による自然環境も絶対成り立たない事を銘記すべし。すべてが人間の傲慢な行為が元で壊れている。戦争もそうだが、食足りて礼節を重んじる、つまり心が平安でなくては環境はととなわないことを知らなくてはならない。このたびのことは欲心から出た人災である。今地方行政のいい加減さが広がっているが、市民、県民の命を預かっている意識がないからなのではないか…。

ただ今活躍している作家の名前はほとんど知りません。三島先生がなくなって日本の文学は終わりました。明治、大正、昭和と続いた文学は輝かしい足跡を残してくれました。その作品群を読めたことは私の精神生活の上で大変貴重なものです。私は文章の勉強のために志賀直哉先生の作品を何作も原稿用紙に書き写した日々があります。また、チェホフの戯曲を読むこと以外に脚本の勉強には映画館にゆき耳に栓をして役者の動き、顔の表情、目の配りなどからその台詞がどのように語られているのかで自分で台詞を頭に書き、そのあとに耳栓をとりもう一度見て相照らすということをしていました。洋画は字幕なしで無音にしてみる、あとで字幕で見るということの繰り返しをしたことか。必然を書け、文章はテーマが決めてくれる、それらのことを学んだのは若き日であった。それらを教えて呉れてのは諸先輩の作品であった。それらを60歳の誕生日にすべて捨てたのです。新しい私とめぐり合いたいという希有のために。それと言うのも私の持病、自律神経失調症で、この調子なら人様に不快な事を、迷惑が及ぶのではないかという思いがあったからです。時間がかかりました、病とともに生きよ、自分が作った病ならそれをいとおしく抱いて生きよ、という声が耳に届いたのです。倫子先生、時に攻撃的な文章を書くことも神経の高ぶりがもたらすものです。今、真剣にこの国のあり方を思う時、降臨するがごとく言葉がほとばしります。そんな日々のなかでたくさんの人との出会いに触発されてここに顔を出して駄文を呈しています。まだまだ私に何かができる、ならばという気概がわいています。みなさんの色々様々な書き込みに接して昔の事を思い出している日々もあります。霍公鳥の鳴く声を聞いたのは岩下志麻さんと同じ現場であったことを…。

ただ今の選挙制度が合憲とは言い難い。そこから選ばれた議員はその資格がない。護憲護憲と叫ぶのは、在日に議員資格がなしという条項がないのでそれを守りたいということ。国際法で占領下ではその国の憲法を改鋳することを認めていない。日本の山林が中国に買いあさられてもそこにはそれを禁止する条項が記されていない。公務員、メディア、にしても在日の採用という項目はなく広義に解釈されて今に至っている。皆様のおっしゃる通り国家の中枢まで入り込み乗っ取りを計画、すでに浸食されており、それを阻止しなくては日本は乗っ取られる。国政もだが、地方においてはそのことが顕著にみられる。さて、どうするか、この恐怖に気づいていない人の多さにあきれるが、民主主義の崩壊は世界に及んでいる、日本は嘗てあった明治からの日本式民主主義に変えるというのはいかがでしょう。まだ、日本帝国憲法は生きています。放棄したわけでも改憲したわけでもありません。その上にアメリカの押し付けの憲法がある状態なので国民が心ひとつにしたら可能ではありませんか、少し道遠しという感はぬぐえませんがやらなくてはならない道のりでしょう。何時までもアメリカが書いたシナリオを演じるのではなく、日本の良心から発せられた新しいシナリオを書きそこでおおらかにのびのびと演じてみることを考えなくてはならないような気がします。

ねずさん、ありがとうございました。この歌が流れていたころのことどもを思い出しました。私は両親を30歳にして見送っています。時に墓参りという親不孝者ですが、いつも心のなかで思って手を合わせています。父親を反面教師として生き、母を慈母として思って生きてきました。おやじが遺してくれた言葉「東大に行って国を動かす人になるより、人様の邪魔になってる石を動かす人になれ」それにどれだけ近づいたか。秋、コスモスが咲き乱れ、彼岸花が咲き誇り、山々は恥じらいの赤に変わる、そんな季節をなんど巡ったか、遊び人の矜持を絶え間なく持ち続けられたか。今、歳をとるという未知の世界をさまよって時にたたずみ振り返っています。

わずかの庭に面した六畳の畳の部屋には障子越しに木漏れ日が差しその上で明かりが遊んでいるように見えた。部屋には何も装飾になるものはなく小さな座机がぽつんと置かれていた。この主の部屋であった、武士の佇まいは洗いざらしの一重の上にそれも洗い晒しの薄い肩掛けを付けていた。机の上も整然としていた、その前に正座し書物を読み、書き物をして一日は終わるのだ。この簡素で精錬な暮らしがその武士の日常であった。あくまで死してその恥をさらさないという考えからであった。武士の本分は戦いに出でてくにたみを守るというもので常に死を覚悟して生きたのだ‥‥。この人の論は正しく受け止められる。中でも維新クーデターが国民に与えたものは貧民の格差です。また、維新以降に日本の文化は生まれていないということです。あの薩長の下級武士5名を密航させて100万ポンドという金を使いながらイギリスが見せたものはひとえに彼らを使い日本という国を間接的な植民地にすることだった。文明が人間を幸せにするという洗脳である。竜馬はせっせと国内にあって武器弾薬軍艦までも売り捌く武器商人であった。これらはイギリスとロスチャイルドによって準備されたシナリオであった。伊藤博文以下4名は文明に酔いしれて帰り、天皇を頂きクーデターを起こして明治を打ち立てた。それからの日本は彼らの指図によって間接的に支配されていく、つまり、江戸時代を壊すことから始められた。それが今でも続いていることなのだ。私は江戸時代を書いていて本当にくにたみが望んでいたこととは思えなかった。今も日本の文化は日本のものではない。くにたみの心を縛るものでしかない・・・。廃仏毀釈、戦後の公職追放により日本は終わったと思っている。今江戸をなぜ恋しがるのか、そこには日本民族の吐息があるからだと思っている…。舌足らずになりましたが、ここには書ききれませんので…。

日本の創生記を見る上では平城京を見るより平安京から見る方が真実が見えることがあります。なぜ平安京へ遷都したのか、ここでは物部氏が出てきませんが、秦氏の影響が一番色濃く平安京へとつながると思います。私は、ユダヤの十二支族、その中の十支族が世界に散ったことが、日本に与えたものが大きいと感じています。平安京をヘブライ語ではエルサレムとなる、その根源であるメソポタミア文明のシュメール文明を調べています。シュメール文字が日本の神社に書き残されている、また、神社の祭事がユダヤの儀式に相応している、伊勢神宮にユダヤの星の刻印があるのか、日本に残るヘブライ語が500を超えている。日本はシナの影響ではなく、シナ人の遺伝子がないに等しい、南方から渡来した人たちによって興された。日本人は他民族の混血である。日本人より世界の人の方が知っている、例えばアメリカ日本大使が着任してすぐに徳島の剣山へ参るのは何を物語っているのか、奈良、京都、金沢がなぜ空爆を避けられたのか、古事記、日本書記を離れて考えています…。秦氏はユダヤ人説が色濃い・・・。これは、戯作者の妄想として受け止めてください…。

渡邊さん、北の大将の誤算、ミサイル発射で安倍総理とトランプ氏が北に対しての強固な姿勢の記者会見を行うに至ったということです。レールガン、レーザー砲が完成すればすぐ撃ち落とせます。安倍総理には勝算が見えていると思います。海はセンサーケーブル設置終了。空は国防衛星打ち上げによりシナと北の動きが丸見え、外遊前に北の動きを掴んでの渡米だと思います。潜水艦そうりゅうには機雷が大量に積み込まれています。世界最速のマッハ5のミサイルの完成も近い、あとは日本にいる犯罪在日の処理、予備自衛官も集結完了しているはずです、レンホーの馬鹿な質問に付き合っている間に着々とことは進んでいると思われます。これは水面下で、今のマスコミは揚げ足取りに終始して実態の把握が届かない。臨戦態勢は完璧につかずいていることでしょう。空母も造船所で何艘か建造されています。核の問題ですが、小山内宏さんがもう何十年も前に解説していますが、すぐにでも出来ます、組み立てだけでしょう。アメリカは1か月と言っていましたが日本の技術をなめているようです。アメリカにプラトニュームをかなり搬送しましたが、何百も作れる量は残しています。問題は日本の水源をシナに取られないことです。干からびさせることです。塩水を真水に変える装置をコピーされないことです。シナの水源は人が飲めるものではなくなっています。公害で滅亡するでしょう。自滅するのを待つ、安倍総理に家康を見るのですが…。日本の怖さを知っているのはイギリスとアメリカです…。

ベトナムも朝鮮も同じ中国の属国でした。ベトナムはアメリカの侵略にあい戦って勝った、そのアメリカに対して何の恨みも持っていません。また、中凶に侵略に対しては毅然とした態度で戦っています。片や、朝鮮は属国であったことをひた隠しにして媚を売り続けてきた。日本と戦争などしたことがないのに韓国戦争という虚構を教育する、併合のおりに朝鮮民族は日本の資金により近代化したことが許せないと恨み辛みを被害者ぶって保証を要求する、むしろ日本ではなく500年間以上も属国とされ搾取されたことがなかったと言わんばかり。ベンナム人と朝鮮人の差は大きい。これは台湾の人とも比較してもいかに朝鮮民族が下衆かがわかる。北は私達が報道で知る以上に食料も技術も韓国の比ではない。元満州にいた朝鮮人200万人が今は共産党軍として北を守りあらゆる技術をカバーしている。またある組織により饗応があり、核にしても、ミサイルにしても韓国は太刀打ちできない、韓国は昔日本の水車をいくら教えても作ることが出来なく、轍も作れなく、染料も作れなかった民族です。今、作られているものはすべてコピーで独自で開発したものはない。私はそれらの技術においても文化においても北が凌駕していると思っています。今回の正男の暗殺にしても懐疑的なとらえている。大衆の面前で幼稚な暗殺とは、報道でいう、皆さんが書き込んでおられることに疑問を持っています。私は表面で捉えていません。結果どうなるのかです。日本とメソポタミア文明のかかわりをたどっていたら、シュメール文明に日本人がいかにかかわっていたのかがわかるように、朝鮮とのかかわりは歴史の中で一切なかったことがわりました。むろん中国の黄河文明よりはるか昔日本にはそれより優れた文明があった、半島には文明がなかった、そこに人間としての成熟度の違いを見るのです。今言われているのは四大文明の嘘…。

いしげさん、ありがとうございます。すべて納得です。何度となくこのような書き込みをしてきました。もうあほらしくて反対意見を書く気にもなりません。病床の老人たちが病院での喫煙をということは正しい、この人たちは自己責任を知っています。ジェット旅客機、自動車に乗って排気ガスを垂れ流す手助けをしていて、他方煙草を楽しむ人を非人間扱いをするその不合理に全く気が付いていない人に言われたくない。たばこよりアルコールの害の方が大きいのにそれを叫ばない、何様のつもりでいるのか。科学的にもたばこの害は認められないという肺がん。言って見れば何かに常に喧嘩を売っていなくては生きられない生き物たちであろう。とかく、今の世の在り方には危険が蔓延している、植物の添加剤などが一番病人を作り殺している。チベットのウイグル自治区の内モンゴルの、侵略に対しては何も言えないやからが、尖閣の危機に対して何もいえない能天気者には言われたくない。安物のデモクラシーを振り回されたらたまったものではない。愛煙家の皆さん、喫煙者のマナーを保ち何も遠慮することなく楽しみ堂々とあの世とやらに旅立うではありませんか。この国には馬鹿と阿呆が多すぎて、死ぬのが怖いとうそぶいて、利己的に生きている人が多すぎる。いやだいやだ、この国に住むのが嫌になる…。私は書き物をするときには80本は喫う…。ストレスの方が人の命を縮ませる…。

この書き手がどなたかわかませんが、まったく的を得た真実です。南京事件の時には赤紙が届いていません。まして学徒動員令は昭和19年のことです。私の兄も代々伝わる刀を軍刀として持ってまいりましたが、それは捕虜となることを辱めとしての自決のものでした。また、今、私の家にある日本刀はこの私でも重くて振れないものです。まず修練を積んだ人でなくては抜けません。斬るとなるとそれは修練を積んでいる人でなくては出来ることではありません。3人斬れば血糊で斬れなくなります。叩いて戦力を奪うことしかできません。あとは突くしかなかったのです。村上坊は時代劇の視過ぎ、江戸時代には刀は身を守るものでした。刀に触れたことがない証拠です。先の戦中の日本人の身長は150-155センチです、ひょろひょろの美大生には腰に差ても腰が落ちてすぐへたったでしょう。この愚作を発行した編集者の見識を問いたい。ドイツの件はおっしゃるとおり、シナではドイツとアメリカを相手にして戦ったいました。事件の発端の日本の領事館に攻め込んできたのはドイツ兵と国民党軍でした。村上坊は頭がおかしい、南京事件を書くのなら南京事件記念館に行けば軍服の違いで日本兵ではないことがすぐにわかるのです。まあ、この人はそこまで勉強もしていないから無駄でしょうが、恥ずかしい物書きです。この人に対しては日本国民はノーを出さなくてはならないでしょう。販売禁止を求めるべきです。大江の「沖縄ノート」も酷いがやらせでした。それにしてもこの村上ボは全くの無知です。この件に対して、日本作家協会、ペンクラブの考えをぜひ聞きたいものです…。


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